散骨供養とは

高野山真言宗やすらか庵の散骨供養

散骨供養とは後継者が居ないなどでお墓を持てない方のために遺骨を粉状にして供養の目的で大自然に散布することです。

僧侶が行います

高野山真言宗やすらか庵の僧侶が行う散骨供養は仏教形式で行い、亡き人をあの世に送り出すための葬送の儀として行いますので、一番大切なことは亡き人が迷わずにあの世に向かうことです。

今の時代では若い人がどんどん寺院から離れていく寺院離れが加速していますが、江戸時代から続く檀家制度に頼り切って安穏としていたツケが今頃になってきていると思います。

困った人を救済するのが寺院の務めであるはずなのに、困った人を見捨てたり、益々苦しめるようなことを実際に行っているのです。

そういった中で寺院の本来あるべき姿を追求して散骨供養を行っています。

後継者が居ない

今の日本は人口が増えていく先進国ではありません、実際は人口がどんどん減っていく後進国になってしまっているのです。

人口が減っているということは、子供が居ない、高齢者ばかりの国になっているのです。

かつては何処の団地でも子供の声がこだまして若い夫婦が元気に働き、賑わっていた街も、今では老人ばかりで学校や商店、病院も無くなってしまい、老人が老人の見回りをしながらひっそりと暮らし、孤独死の人が見つかる度に警察を呼んで検死するような街になってしまいました。

葬送の儀としての散骨

私達は自分を育ててくれた親を送り、そして自分達も年老いたら子や孫に送ってもらう立場であり、自分の死後の事は自分で出来ないからこそ、子や孫に温かく送ってもらったら、それだけで最高に幸せな人生だったと言えるのです。

亡くなってから誰も来てくれなかったり、遺骨の引き取りを拒否したり、遺骨を捨てるようなことをしたりと今の世の中厳しい世の中ですが、せめて家族だけでも温かく見送ってくれたら何と嬉しいことでしょう。

散骨供養の大半は後継者の居ない方が利用されますが、それでも感謝の気持ちを持って、有難うの言葉でもって、供養の気持ちで亡き人を送りだせば、必ず喜んで頂けるのです。