亡き人を送ることは私達生きている者の務めであり、私達は常に送る側と送られる側の立場であり、送る側としては亡き人を送る訳ですが、私達が送っているのは果たして肉体だけでは無くて、魂を送っているのではなでしょうか。
亡くなって動かなくなってしまったのは肉体が死んだからという理由ともう一つ、魂が抜けたからであって、渡地たちが亡き人に語り掛けているのは魂に対してなのです。
私達が亡き人をお送りする時には常にこのことを考えていないと、亡き人を単なる物として送ってしまいます。
散骨供養とは亡き人に感謝して供養の気持ちで送りだす葬送の儀であり、高野山真言宗やすらか庵で行っている読経を伴う散骨供養が究極の形なのです。
これからの時代に必要なことは供養の気持ちです。